萩とキリスト教の関係史

萩とキリスト教の関係史は、毛利家重臣熊谷元直が、今から428年前の1587年に軍師シメオン黒田官兵衛の影響で洗礼を受けメルキオル熊谷元直となったこと。1600年の関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元が周防・長門二州(山口県)に封じられた時、熊谷元直は忠実に広島から従い、萩城築城総奉行も務めました。彼は一族をキリスト教に導き、潜伏キリシタンたちも保護したようで、それを嫌った毛利輝元に棄教を迫られても拒み、別件理由で切腹を命じられても、キリスト者は自死しないと拒み、1605年8月16日(西暦)に一族ともども殉教の証しを立てました。(2007年に長崎で列福)萩のカトリック小教区の歴史は、126年前の1889年(明治22年)、パリ外国宣教会フランス人司祭ビリオン神父が山口に来てからです。彼は山口から萩を巡回し、明治新政府により明治元年後6年間も萩に流配され殉教した長崎浦上キリシタンの墓と殉教記念碑を1892年に萩市堀内に建立しました。

1895年、初代主任司祭として萩教会に着任したビリオン神父は萩市平安古の民家を初代目のカトリック萩教会聖堂とし、萩・津和野・地福の福音宣教をしました。彼は萩に29年間住んだ後、1924年に神戸そして奈良に転任しました。萩教会は1924年からイエズス会の管轄となり、ドイツ人イエズス会司祭ヴィッケレイ神父が二代目主任司祭に着任し、1936年にイエズス会が現在の土原の土地を購入、1938年に萩教会を移し、日本家屋を二代目の聖堂としました。1940年に八代目主任司祭にスペイン人イエズス会司祭ヴィエラ神父が着任し、終戦後1948年に現在は信徒会館として使っている三代目聖堂を新築しました。満州や朝鮮から引き揚げて来た元兵士や引き揚げ家族の多数が、戦中の特高警察の圧迫下でも萩の唯一の外国人司祭として奉仕したヴィエラ神父に救いを求めて来たそうです。

戦後、ヴィエラ神父が20年ぶりにスペインに帰国した折りに、マドリッド市の信徒マリア・アルカルデさん(42歳)が親の遺産の土地を売った400万ペセタ(当時で約2600万円)の献金を、ビィエラ神父を通じて敗戦後の日本の教会のためにとイエズス会に贈り、「第二バチカン公会議」後の典礼刷新に合わせた聖堂として、1965年に四代目の現聖堂が献堂されました。因みに、萩聖堂前の鐘は、敗戦国日本の復興の願いを込めてスペインから1948年に贈られて来た鐘で、2011年3月11日の「東日本大震災」被災地の復興の願いを込め、2011年3月13日に鐘楼に建立し祝別したものです。 神に感謝!