第十三話 故郷長崎へ(復活の証人)

第13話 故郷長崎へ(復活の証人)
故・結城了悟神父(長崎26聖人記念館前館長)

2002年8月15日記

「キリストのマルティレス」

萩『復活の教会』
萩カトリック教会百周年記念講演より抜粋
結城了梧神父様
1990年10月7日

三番目の時代は証の時代です。浦上の信者がこの萩に流された。彼らは説教しなかった。彼らは忍耐をもって、謙遜に、苦しみを耐えるだけだった。でもすばらしい証だった。

彼らがそのように証したから、四番目の時代、『復活』の時代となった。ビリオン神父が萩に来られた。ビリオン神父の活躍はすばらしい。見ますと、長崎にいた頃、浦上信者が長崎から追い出された時に、ビリオン神父の覚え書きに感動的な話がある。流刑者が乗せられている船が大浦の港から出港するのを見て、泣いた。彼らを泣きながら別れを告げた。ビリオン神父は彼らを忘れない。後で神父が津和野・萩、すなわち浦上の信者の跡をおいかけて両教会を開拓した。両教会が今までこれらのことを確実に証している。

この長い歴史の中で、浦上の信者の話に入る前に、”殉教”という言葉に目をとめなければならない。今、述べた浦上の信者の時代は、” 証”の時代だった。”殉教”と言えば”証”です。”殉教”という言葉が初代教会の時から、ギリシャ語で『マルティ』と言って、ずっと使われていた。ご存知のとおり新約聖書はギリシャ語で書かれた。マルティの言葉が、新約聖書の代表的な言葉です。イエズス様もその言葉をお使いになった。「あなた方は全世界に行って、私の証人(マルティレス)になれ。」ペトロがイエズス様の復活後、裁判所に出された時、「あなた方は誰ですか。」「イエズス様の死と復活の証人です。」キリストの”マルティレス”と答えた。ですから、初代教会で、まず第一に”マルティレス”と呼ばれたのは十二人の使徒だった。イエズス様の死と復活の証人です。後で、意味をもう少し広くして、十二人だけでなく、イエズス様を知っていたすべての人が、自分達の見たことを皆に伝えた人が”マルティレス” と呼ばれることになった。

けれども使徒時代が終わる。次の時代もまた”殉教”がある。その時、教会では、キリストの為、キリストの教え、キリストの復活の” 証”として命を捧げる人は皆、”マルティレス”、証人と呼ばれた。日本の教会には、適当な日本語がなかったからギリシャ語の言葉のままで使った。

殉教は愛の問題です。聖アウグスチノは言う。殉教は愛する人とキリストのつながりの証である。イエズス様を第一の殉教者、殉教者の頭であると呼んでいる。そうですから、キリスト教では”殉教”は”命を捧”げて、キリストの死と復活、永遠の命をともにする”証”です。キリストと結ばれる。キリストの殉教者。キリストのために、キリストのように。