第十二話 浦上四番崩れ(信教の自由)

第12話 浦上四番崩れ(信教の自由)

2002年7月15日記

明治五年二月に出された第三十六号布告によって、同年四月に改心組162名が帰国の途についた。

ここで大切なことは残留組つまり非改心組103名(男39名、女64名)を上回っていることである。

藩側は、これで残留信者も改心するのではないかと思っていたが、それとは全くの逆に信仰心が前にも増して強くなる一方で、手の施しようもない状態になっていったことである。それに重なる経費の負担は底をつきる始末で財政圧迫になり、ついに今でゆう行政改革で、異宗教あずかりどころから萩市庁へそして本庁庶務課という単一取扱いとし、説論係りの神官、僧侶も無くした。

また一方ではキリシタンの恐怖感情も以前に比べて薄らいでいったことも事実である。そこで二月十四日付大蔵省(井上蕉)の答申では明治二年以来、各人が信仰を守るためいかに苦労をしたかをしきりに具申したり、信仰心が深められてゆく姿が度々記されている。

そして面白いことに、終りの頃に注目すべき見解として記されている、それは「今となっては、信教の自由を保証すべきではないか」と。そしてまた下記のような斬新的なことも「そもそも人心各自信仰の自由は政府にて預かりしり、抑制いたし候筋にこれあるまじく候間、独り山口県お預かり分のみならず。一般に右のご処分あいなり候方然るべきか」と。

この伺いを受け大蔵省はそれをさらに発展させて政府が信教の自由を国民に保証することを最終的には主張したことである(大政類典第二編教法)。井上を始めとする大蔵省脳はこの現実を認めそれに対応することになっていったのである。
あなたがたは世で苦難がある
しかし勇気をだしなさい
わたしは既に世に勝っている!
ヨハネ16:33

参考文献
大政類典
世外井上公伝
浦上キリシタン流配事件(歴史文化ライブリー家近著)
山口県史(近代1)