第十一話 浦上四番崩れ(国際的抗議)

第11話 浦上四番崩れ(国際的抗議)

2002年6月15日記

いつ帰郷を、誰が決めたのか?そのくわしいことは分からないが、萩調査接見役として外務権大烝
楠本正隆等の巡視後であったこと、また、このことにかかわりをもった当時の大蔵大輔 井上蕉(萩出身)等であったことは確かである。

それは史料(日本外交文書第五巻589P)で確認できる。明治5年1月14日に大蔵大輔 井上蕉は、大政官正院へ各地に預けられている浦上キリシタン者に民籍編入、希望の地への移住を選ばせることを提言している。
注 楠本正隆は大村藩士で長崎府権判事を努めたこともあり、長崎の事情にはくわしく穏健な人物であった。

その当時の明治政府をとりまく国際情勢は、イギリスより宗教弾圧に対しての抗議を受け、キリスト者問題の解決を急がねばならない一大要因があった。その対応一歩誤れば国際社会の中で取り残され兼ねないからでもあった。また国内においても外国人への暴力事件が各地に起き、明治4年1月には参議の広沢真臣が暗殺されたり、反政府分子の弾圧につながりかねない要因もあったし、また政府内にも守旧思想排除の方向が固まりつつあった。

こうした中、大政官布36号をもって長崎帰郷が明治5年2月7日布告されたのである。

あなたたちは真理を知り
真理はあなたたちを自由にする。
ヨハネ 8:32

参考文献
長門公教史 (著 加古義一)
切支丹禁制の由来 (著 神崎政治)
公文録 (国立公文館0)
浦上キリシタン (著 家近良樹)