第九話 浦上四番崩れ(拷問)

第9話 浦上四番崩れ(拷問)

2002年3月15日記

維新の旗印「旧幣一新」の名のもとに、明治政府はできたものの、キリスト教に限っては昔通りの弾圧の踏襲を行なった。しかしこの宗教弾圧は浦上四番崩れの配流拷問によって数多くの殉教者による最後の幕を閉じたのである。

男、女、右、左の牢獄、囚人服にもようやく慣れて三週間ばかりは、春の陽射しを浴び喜びに満ちた安穏の日々であったであろうが、何時までも続くこと無く、春日神社神官などにより、神道教議にはじまり、甘言、時には暴言で改宗説得を繰り返すも、一向に説論の効果はあがらない。時には怒り、頬を打ったりの説得にも一人の改宗もない、そこで神官等は、牢役人達と相談し三つの方策を考えた。

その一つは俗に言う「鉄砲責め」(両の手を脇と肩とに回し背中に両手の親指をくくり、手を背中の間に板木を挟み背中と両脇に激痛を与え)石の上に座らせ説得する方法。

二つめは「寒晒し」ことに雪の降る日に、男、女を問わず一人づつ丸裸にして庭石に座らせる方法。これは骨の髄まで冷感を覚えたであろう。

三つめは「女のみに用いる方法」として行なう。幕を張り、女として命より大切な貞徳、即ち身の慎みを破らせんために、裸にして立たせ衆人の目の前にて恥づかしめたりする。これは下役人の仕業にて女の身には耐え難き苦しみで生涯忘れることのできない責め苦であった。このような筆舌に尽くし難い責め苦を仮牢より眺める兄弟姉妹の心中はあまりるものがあったであろう。

堅忍不抜の心を貴き磐石のごとき信仰を守り抜いたこの遺徳を偲んで後年ビリオン神父はこの地を訪ねられ。「奉敬致死之信士、於天主之尊前」の十字架記念碑を殉教地跡に建てられた。
これが日本における宗教弾圧最後の殉教で幕を閉じたのである。

殉教記録
年月日 殉教者数 年令別
慶応4年8月—明治元年12月 1名 9才以下 9名
明治2年1月ー明治2年 6月 2名 10才—49才 9名
明治2年7月—明治2年12月 0名 50才以上 10名
明治3年1月—明治3年 6月 15名
明治3年7月—明治3年12月 6名
明治4年1月—明治4年 6月 4名
計 28名 計 28名

参考文献 異宗門人別預り帳 毛利家所蔵文書
帰ってきた旅の群像(山田光雄著) 長門公教史
浦上四番崩れ(片岡弥吉著) 三条家文書(国会図書館憲政資料完蔵)